こんにちは。フリーランス臨床検査技師の服部です。
現在は、はっとラボ(屋号)として超音波検査と教育を主軸に活動しています。
連載第1回目として「フリーランスになる前のライフスタイルとキャリア」について語っていこうと思います。
読了目安時間:6分程度(1分300文字)
大学院修了後、想像と違った現場でのキャリア
「みなさんは臨床検査技師資格取得まで、そして取得した時にどんなキャリアを思い描いていたでしょうか?」
・希望した部署に配属される。
・学んできた好きな検査に携わることができる。
そんな希望を持っていなかったでしょうか?
私は、1型2色覚(先天性色覚異常の1種)という特性があり、大学在学中にグラム染色やHE染色といった壁に悩まされました。そんな時に出会った超音波検査なら白黒の世界、「私にもできる!」と思い、超音波検査の研究と研修が可能な大学院進学を決めました。
もちろん、就職時の面接では大学院で超音波検査の研究をしてきたことや学会発表の経験をアピールしました。
だからこそ、私は超音波検査の配属になると信じてしまっていたのです。
ここで私の悪かった点があるとすると1型2色覚であることを面接時にはいうことができなかった……いいえ、言う勇気がなかったことです。この色覚が大きなファクターとなります。
実際に就職してみると、配属はその検査部の人手が足りないところや欠員がでたところだと知りました。配属の話になったとき、私はグラム染色が必要な微生物は色覚特性として無理だと思い、ようやく当時の検査科長に相談しました。
結果として生理検査部門への配属となり、私の希望は叶ったのですが、ここでもう一つの問題。
日当直問題が浮上します。
日当直では、グラム染色は行わない施設でしたが、迅速検査(マイコプラズマやインフルエンザなど)の判定ができないのではないかと疑念を持たれてしまいました。
そのため、日当直をしない代わりに、当時の職場では誰もが嫌厭していた心臓カテーテル検査の待機業務を命じられました。
この心臓カテーテル検査自体はやりがいもあり、多職種連携も可能な臨床検査技師としては貴重な業務だと思います。しかし、この業務にまつわる人間関係の問題がとても大きく、この業務が原因で次回以降で言及するうつ病につながります。
ということで、まずは心臓カテーテル検査を主軸に勤務し、心電図や脳波、筋電図、術中モニタリングが私の仕事となりました。
思い描いていた超音波検査に従事できるようになったのは、就職してから2年後のことでした。
救急車の音におびえる日々
当時の私は日当直がないものの、7時30分には出勤し救外心電図チェックを行い、自分が待機の日ではなくとも心臓カテーテル検査が長引いていたり、緊急であったりすると終わるまで職場にいる日々でした。
だいたい20時~22時の間に帰宅していました。
朝が早く夜も遅いため、平日はあまり自分の時間というものを持つことができませんでした。
また、心臓カテーテル検査の呼び出しの可能性がある救急車の音を日常で聞くだけでもおびえる日々でした。これは検査自体が嫌というわけではなく、先述の人間関係に起因しています。正しくモニタリングしても怒られ、自分が原因でない出来事でも怒られ…
日当直がないため土日は休みでしたが、待機の日は心が休まらず、月曜日が来ることにも日々おびえてすごしていました。
当時の私が考えていたライフスタイルとキャリア
おびえながら過ごしているとはいっても、年数が経つにつれて慣れてもきます。
ある程度のスキルを身に着け、超音波検査にも従事できるようになり、検査科長の交代により日当直も大丈夫でしょうということになり、待機+日当直も行うようになり、超音波検査士の資格取得もできたころには色々と将来のことも考えていました。
ずっと、この病院で働くのだろうな。いつかは技師長や科長を目指すのかな。
ライフスタイルとしてはこのまま待機+日当直はしんどいな…今は若いからなんとかやっているけど誰か他に心臓カテーテル検査の待機を行う人が増えないかな…でも人間関係的に厳しそうだな…
と、ほとんど目の前のことしか考えることができていませんでした。
今の私の考え方からみるととても視野が狭いですが、当時の私は生きることに一生懸命で精一杯な状態だったのだろうと思います。
当時はあまり、何かを楽しむという時間をとることが難しく、もともと好きだったアニメや漫画、ゲームなどで気を紛らわしたり、カラオケで歌って発散してみたりという感じでした。
この考えなどが一変する出来事が起きます。
(#02へつづく)


