こんにちは。合同会社LIGHTUPキャリア代表の國井華子です。
前回は、人と関わりたくなくて血液センターを選んだのに、気づいたらハブになっていた、という話を書きました。今回はその続きです。MRとして輸血療法委員会に関わるようになってから見えてきた、検査技師という仕事のもうひとつの顔について。
読了目安時間:6分程度(1分300文字)
日赤のMRは、普通のMRとはちょっと違う
MRという肩書きをもらったとき、私は製薬メーカーのMRとは別の仕事をしていると最初から感じていました。
日赤のMRも、ある時期までは血漿分画製剤を扱っており、競合他社と同様に説明会をし、採用を促すという通常のMRと同じような販売促進活動を経験しました。しかし輸血用血液製剤については専売で競合がなく、仕事の本質は売り込みではなく、適切に使ってもらうための情報提供でした。その意味で、スタンスの根本が通常のMRとは違いました。
もう一つ、構造的に違う点がありました。輸血用血液製剤を管理するのは、現在は検査部です。以前は薬剤部が管理していましたが、今は検査部での一元管理が基本となっています。製剤の受け入れ・管理・検査・払い出しまでを検査部が一手に担う。つまり私の主な窓口は、薬剤師ではなく検査技師でした。
そして私自身も検査技師で、MRになってから認定輸血検査技師の資格を取得していました。検査部の中に入って、検査上の疑問点や輸血判断の解釈まで踏み込んだ話ができる。それが私の立ち位置でした。
7割の病院の委員会に、部外者として入っていった
MRとしての仕事で最も大きかったのは、輸血療法委員会への参加です。
これは私が所属していた血液センターの所長の方針から始まりました。国立大学病院で輸血療法委員会の委員長を務めた経験を持つその所長は、血液センターが各病院に情報を提供するには、委員会への参加が最も有効だと考えたのです。
当時、血液センターが病院の委員会に参加するのは、あまり前例のないことでした。気づけば、担当していたエリアで輸血を扱う病院の7〜8割の輸血療法委員会に、オブザーバーとして顔を出すようになっていました。
部外者が病院内部の委員会に入る。最初は当然、警戒される場面もありました。しかし続けていくうちに、私の存在に価値が生まれていきました。「他の病院ではどうやっていますか」という問いに答えられる人間が、私しかいなかったからです。
7〜8割の病院を横断して見ている人間は、自然と情報の集まる場所になります。意図してそうなったわけではなく、気づいたらそういう立場になっていました。後から聞けば、同じような動きが他の地域でも起きていたようです。
「最後の砦は検査技師だ」
輸血療法委員会に参加するうちに、私はある言葉を知りました。日本輸血・細胞治療学会認定輸血検査技師制度の構築に関わったある大学教授の言葉です。
「輸血医療にとって最後の砦は検査技師だ」
最初に聞いたとき、重い言葉だと思いました。そして同時に、腑に落ちる言葉でもありました。
輸血検査において、最終的な責任を取るのは医師です。しかし検査技師の判断が、患者の命に直結する場面があります。大量出血で救急搬送された患者への緊急輸血。血液型の判定、抗体の検出、製剤の選択。その判断を、現場で最初に担うのは検査技師です。
病院の中には医師を頂点とするヒエラルキーが確実に存在しています。検査技師が医師に対等に話をすることが難しい場面は、今もあります。しかし輸血に関しては違う。輸血の専門性という意味では、検査技師は医師と対等に話ができる存在だと、私は思っています。
検査だけでは完結しない部署
輸血検査は、検査をするだけで終わる仕事ではありません。
輸血療法委員会の事務仕事、医師との交渉、看護師との連携、多職種にわかりやすく情報を届けるための資料づくり。緊急時には、検査技師が最前線で判断し、医師に情報を渡す。その一連のプロセスの中に、検査以外のコミュニケーションが無数にあります。
私がMRとして各病院の検査部と深く関わるようになったのも、検査技師同士として専門性の言葉で話しながら、同時に「どうすれば医師や看護師に伝わるか」を一緒に考える間柄になれたからだと思っています。
専門性を持ちながら、異なる立場の人と言葉を渡していく。それが輸血検査という現場で身についたことで、今の研修・教育設計の仕事の原型になっています。
次回は、独立に至るまでの経緯を書きます。なぜ組織を離れることになったのか、そしてそれが現在の仕事にどうつながっているのか。


