こんにちは。合同会社LIGHTUPキャリア代表の國井華子(クニイハナコ)です。秋田市を拠点に、医療機関向けの研修・教育設計を手がけています。本連載では、検査業務を敬遠しながらも検査技師というラベルを使い倒し、独立して医療機関の研修・教育設計にたどり着いた軌跡を綴っていきたいと思います。
読了目安時間:4分程度(1分300文字)
はじめに
看護師・コメディカル・事務職員など、立場の異なる人たちが同じ組織で疲弊せずに動けるよう、研修設計や仕組みづくりを手がけています。「どこで人が詰まっているか」を構造として見て、それを解きほぐす設計をする、と言えばイメージが近いかもしれません。
臨床検査技師の資格を持ちながら、検査室には立っていない。そういう人間が医療機関の研修設計をしているというのは、少し変わった立ち位置だと自分でも思います。しかも正直に言うと、検査業務そのものはあまり得意ではありませんでした。
検査技師になったけれど
1996年に日本赤十字社血液センターへ臨床検査技師として入職しました。
理由は明快です。人とあまり関わらずに済む仕事がしたかった。病院の検査室より、血液センターのほうが患者と直接接しない分、自分に向いていると思っていました。就職氷河期で選択肢が限られていたという事情もありましたが、方向性としては迷いませんでした。
ところが、血液センターにいると、必然的に多くの病院と接点を持つことになります。検査室の中にいたら見えなかった景色が、少しずつ見え始めていました。検査業務そのものより、検査技師というフィルターを通して見える医療の構造のほうが面白い。そう気づいたのはこの時期です。
人と関わりたくなくて選んだ場所で、気づいたらハブになっていた。我ながら、不思議な話だと思います。
MRになってから、資格を取った
2007年、MRとして輸血用血液製剤の情報提供の仕事に転じました。
医師や看護師、検査技師と直接やりとりしながら、多数の病院の輸血療法委員会に参加する日々。気づけば、病院と病院をつなぐハブのような役割を担うようになっていました。
少し笑えるのは、認定輸血検査技師の資格を取得したのがこの時期だということです。検査業務を離れてMRになってから、資格を取った。順序が逆です。でもそれが自分らしいとも思っています。検査技師というラベルは、検査室の中より外で使ったほうが面白かった。
今の仕事につながっているもの
外から病院を見ると、組織の分断がよく見えます。検査室は検査室の論理で動き、看護部は看護部の文脈で動く。連携しているようで、お互いの業務の実態をほとんど知らない。
MRとして複数の病院を渡り歩きながら、私はずっとその「間」にいました。立場の違う人たちの言葉を翻訳し、届ける。今思えば、それが現在の研修・教育設計の仕事の原型でした。
独立してたどり着いたこの仕事は、けっして華やかではありません。でも、検査技師として出発した自分が、回り道をしながらここに来たことには、必然があったと感じています。
次回は、血液センターとMRの時代をもう少し詳しく振り返ります。病院の外に出て初めて見えた、他職種連携のリアルについて。


