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#02 うつ病と付き合った経験

こんにちは。フリーランス臨床検査技師の服部です。

現在ははっとラボ(屋号)として超音波検査と教育を主軸に活動しています。
連載第2回目として「うつ病と付き合った経験」について語っていこうと思います。

読了目安時間:14分程度(1分300文字)

なかなか気付けない、忍び寄るうつ病

私は本来、うつ病とはほど遠いメンタルをしていると思って生きていました。

高校生の頃は一人で過ごしても平気で、常に親しい友達がいるというわけでもなく、我が道を行くような生き方をしていました。大学でも1型2色覚をきっかけに、たしかに悲しい思いもしましたし、色々ありはしたものの、自信を失うとか悲観しすぎて落ち込むほどまではいっていなかったように思います。進路どうしよう、まずいぞ、なんとかしなければという気持ちの方が勝っていたような記憶です。

そんな私でもなってしまったうつ病。これはとても厄介な病でした。

きっかけは職場の人間関係ハードワークでした。

人間関係は本当に大きな問題でこれに最も苦しんでいました。

ハードワークについては第1回でも書いていたように、心臓カテーテル検査待機業務と日当直も行い、朝は7時30分、夜は20時~22時、遅いときは0時に帰宅する生活をしていました。

ストレスは趣味のアニメや漫画を嗜み、たまにカラオケに行って発散していたのですが、振り返ってみると、これらの趣味が楽しくない、楽しめない、やる気が起きない、ということが予兆だったのだと思います。

自分では疲れているだけ…となかなか気付くことができませんでした。

気付けたのは、当時の技師長や副技師長にちょっと様子がおかしいということを心配されたこと、肺機能検査をしようとした患者さんに「ちょっと、あなた大丈夫?」と言われたことからでした。

みなさんも熱があることに気づいてないと元気なふりができるけれど、一度熱を計って自覚してしまうとしんどさが増してしまうことありませんか?

うつ病もそんな感じでした。

あ、今、自分はまずい状況なんだと思ったとき一気にしんどさが増してしまい生きることが辛くなってしまいました。

そういえば、自覚する前も、目の前を大きなトラックが通ると「このまま飛び込んだら楽になるかな?」とか、高いところにいるときにふっと飛び降りたくなるようなそんな気持ちになることが多々あることに気づきました。

心の悲鳴だったのだと思います。しかし、頑張らなくてはと脳で考えてしまってその声をかき消してしまっていたのだと今になって思います。

技師長に相談して、心療内科を受診することになり、うつ病の診断を受けて休職することになりました。心療内科は予約制ですので、受診まで1週間くらいのタイムラグがありました。その1週間は私の人生の中でも本当につらい時間だったと思います。

なにもできない日々、味のしない食事

休職してしまうと、元気になるかと言われるとまったくそんなことはありませんでした。

特に日中、何もすることができません。寝ることができれば良く、そうでないときはただただ布団の中でぼーっとして、時折辛かった日々を思い出しては心が痛み、夜になると少し動けるようになるのでご飯を食べるのですが、まったくがしなくて、とりあえず食べなきゃだめだから…という気持ちで食べていました。当時はローソンが1階にある賃貸でしたので、夜中に1階におりてパンばかり食べていたように思います。

夜は寝るのが怖く、処方された薬と睡眠薬を飲んでなんとか寝付き、嫌な夢をみては起きて苦しみ…という日々を送っていました。

趣味なども楽しむ余裕はなく、ただ寝て起きて食べて薬を飲んで苦しんでの繰り返しでした。

そんな中で親が食事でも…と、たまに外に連れ出してくれました。

何も味を感じないけど…と思いながら試しに激辛ラーメンを食べてみました。辛みとは痛覚と聞きます。やっと何か食べている実感を得られるものをみつけました。そのころから辛い物が好きになりました。

今は、無性に辛いものがほしいときはしんどいときというバロメーターに使っています。

決断はある程度、治ってから

労働環境だけが原因であれば、復職して労働環境を整えてもらうという選択肢もありました。

しかし、私の場合、人間関係のことの方がもっと大きな問題でした。通院中、なんども主治医に辞めた方がいいのかと相談していましたが、そういった決断は寛解してからにするようにということでした。

うつ病の症状にも波があります。私の場合、朝~昼がとても辛く、夕方~夜にかけて少しマシになり、寝る前になるとまたしんどくなって眠れなくなるといった感じでした。この少しマシなときにどうにかしなければ…と考えてしまうのです。その想いの源は金銭的なところも大きく関係します。

金銭的な苦しみ

心療内科受診と薬代も無料ではありません。頻回に通院し、たくさんの薬を処方されると当然お金がかかります。当時は自立支援制度のことを知らず、主治医からも教えてもらえなかったのでしっかり3割負担で通院と投薬をしておりました。

(実は今、この原稿を書いている時も再発してしまい、自立支援制度を活用して金銭的な負担を軽減した治療を行っています。)

うつ病になったのは20代後半です。まだ、給与も決して多くはなく、日当直や待機でもらっていた手当もなし。幸い公的病院だったため病休による手当はでるものの基本給の2/3程度で暮らしていくと当然貯金はなくなります。実はカードローンを入職時の勧めで作っていたのでそれを利用してなんとか生き延びていました。

しかし、返すあても当時の私にはありません。どうしようか…もう強引に復職するべきだろうか?いや…またあんなひどい想いはしたくない…臨床検査技師を辞めて別の職を探そうかという想いが余計にうつ病を悪化させていたように思います。

休職の後半ではハローワークに行って、できそうな仕事がないか臨床検査技師以外でも探したのを覚えています。詳細は第3回「転職を決めた時の経験」でつづろうと思います。

再発の苦しみ

時系列としては2026年現在までとんでしまいますが、この間に2度の再発を経験しています。

1度目の再発は、転職先の職場でした。こちらは原因があったので仕方ないかなと思います。

2度目は、ちょうどこれを書いている数か月前です。こちらは大きな原因があったわけでもなく、少し疲れ気味かな…くらいの感覚でいたところに一気に悪化してしまいました。

せっかく通院も投薬もいったんしなくても良い状態に寛解していたのに、再度、通院と投薬がはじまりました。

実は心療内科への受診、今までに経験があったこととはいえ、少し障壁がありました。また通院し続けるということ、薬が増えるということへも負担を感じてしまい、症状が出てから1か月くらい休めばなんとかならないかと先延ばしにしてしまいました。

本当に良くなかったなと思います。

最近はSNSも発達し、情報が多く得られますので、耳にしたことがある方もいらっしゃるかもしれませんが、うつ病は心の病であると同時に脳の疾患でもあります。気合とかそういったものでなんとかなるものではないことを、身に染みてわかっていたはずなのに心療内科受診の決断ができなかった…その決断力が低下していることもこの病の特徴なのかもしれません。

まわりにいる方でサポートができる方がいれば早めの受診を促してほしいなと思います。

全力をだせない苦しみと受け止め

うつ病と付き合う前と後で感じることは、もう全力で何かに没頭して打ち込む、頑張り続けるということができなくなったということです。もちろん、今行っているフリーランスとしての超音波検査や超音波検査のオンラインセミナーは手を抜くことなくやっていますが、その仕事に対する耐久力や持続力は明らかに低下しています。質や精度を担保するために、うつ病を患う前よりも休息の時間が多く必要になったように思います。

この記事を書いている現在は6割~7割の力でなんとかやっていっている状態と心療内科の先生にも言われており、実感としてもそのように思います。5割を切るとまた一気に症状が悪化するため、いかにここでキープするのかという戦いのように感じています。

決してもう10割、つまり全力を出力できないですし、それをしてしまったら反動で悪化するだろうと思っています。

私がうつ病になったきっかけのあの数年を全力で頑張って耐えてしまった代償なのだろうと思います。

しかし、この状態はマイナスの効果しかもっていないのでしょうか?

とらえ方によっては、今までにはなかった私の機能として「ブレーキ」が搭載されたとも言えるのではないでしょうか?

20代のあの頃は、頑張るしかないと思ってアクセルしか踏めていない状態で、環境的にもアクセルを緩めることができないようなものでした。そして、あの時に心療内科に行って休職していなければ希死念慮は強まり、私は今ここにいなかったかもしれません。

自分にとって過酷な環境でアクセルを踏み続けるというのはそういうことなのだと思います。

その防御反応、安全装置として「ブレーキ」としてのうつ病があることで、アクセルを踏むことが常習化してしまった私に強制的に「とまれ!」「休め!」を実行させることができる、そういったものなのかもしれません。

うつ病との闘病はたしかに辛いものです。今も気持ちの浮き沈みや体調に波がありますので、ちょっと良いときにこうして記事を書いたり、オンラインセミナーのスライドを作成したり、ダメな時は趣味を嗜んでゆっくりとする時間、あえて何もしない時間を多めにとっています。何もしない時間には何かした方が良いのでは?となんだかそわそわしてしまうのですが、ブレーキのおかげでできている何もしない時間こそが私を人生という舞台で長く稼働させる大事な装置になってくれているのかもしれません。

ひとりで闘病は難しい

私はこの闘病の中、そして現在もたくさんの人に支えてもらっています。いつもアドバイスや悩みを聞いてくださったり、気にかけてくださる尊敬する人たちのおかげでなんとかやっていけているのだろうなと思っています。

自分も誰かにとってのそういう支えになれる人でありたいと思いつつ、自分のうつ病との闘いも悲しい決断などしないように付き合っていきたいなと思っています。

(#03へつづく)

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この記事を書いた人

鳥取県の臨床検査技師。
鳥取大学医学部大学院修了後、総合病院の勤務経験を経て現在はフリーランス(はっとラボ)として活動している。超音波検査士(消化器)を取得しており、オンラインを活用した超音波検査の技師教育に力を入れている。1型2色覚やうつ病による休職など、ライフスタイルとキャリアを見つめ直す機会が多くあった。座右の銘は「待て、しかして希望せよ」。

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