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検査技師学生が振り返る100人カイギの見どころ#03「臨床の中堅技師ホルダーの現在」

皆さんこんにちは!

大学にて臨床検査を学ぶかたわら、100人カイギがきっかけで誕生した検査技師の学生団体SOLSの運営メンバーをしている小田航(おだわたる)と申します。ちなみに、100人カイギでは、若輩者ながら、第5回に登壇の機会をいただき、自己紹介させていただきました。(もし、ご興味いただけましたらこちらもどうぞ。)

さて、臨床検査技師100人カイギも8月28日に第8回を終え、40人の方にご登壇いただきました!

これまで、気になっているけど未参加の方、時間が取れず見逃した方もいるのではないでしょうか?

このコラムでは、今までの100人カイギを振り返り、小田目線の気になるテーマを、小田目線にてピックアップし、小田目線にて考察していく、そんな突飛なコラムになっています。是非、お昼休みやおやつタイムなど、お暇つぶしにでもご一読いただければ嬉しいです。

まだまだ勉強中の身でありますが、どうぞ今後とも皆様のご指導のほどよろしくお願い致しますm(__)m

そんなことで第3回目のコラムでは「臨床の中堅技師ホルダーの現在」と題して書いてみました!

このページの内容

はじめに

今回のテーマは、「臨床の中堅技師ホルダーの現在」についてです。

皆さんの中には、今の中堅技師が何を考え、どのように活躍されているのか、気になっている方もいるのではないでしょうか。

「今の中堅技師にはこんな夢がある!」「情熱を持って取り組んでいます!」と明るいニュースをお届けしたい一心で、筆を取らせていただきました。

そこで、これまでの100人カイギを振り返り、特に“臨床”に従事する中堅技師6名に焦点をあて、 どのように考え、何に取り組んまれているのか? 中堅技師の現在をご紹介しつつ、情報を整理していきたいと思います。

また、今回は比較的前の回に登壇された方をピックアップしています。他の中堅技師の方々については、別の機会に焦点をあてたいと思います。ご一読いただけたら嬉しい限りです。

今回着目したのは以下の方々です。

皆さん、強い思いを持って色々な事に挑戦されている、中堅技師の先輩方です。

・慶應義塾大学病院 柳田 絵美衣さん(第1回)
・医療法人翠清会 翠清会梶川病院 西野 真佐美さん(第2回)
・関東甲信越ブロック血液センター 久米田 麻衣さん(第3回)
・筑波大学付属病院 横山 千恵さん(第4回)
・亀田総合病院 太田 麻衣子さん(第5回)
・奈良県総合医療センター 北川 大輔さん(第5回)

さて、どのような中堅技師がいたのでしょうか?(ワクワク)

中堅技師①:前例となり、臨床検査技師の価値を証明する

第1回のコラムでご紹介させていただきました、フラジャイルでお馴染みの柳田絵美衣さんは、強いハートを持ち、医学を追求されています。100人カイギでは、「10の行動と3つのターニングポイント」をテーマにスピーチされました。上の写真は、信長、秀吉、家康の3人の戦国武将の性格を端的に表している、有名な言葉ですね。これにちなんでご自身の性格を例られ、「鳴かぬなら私が鳴こう!ホトトギス」と評されました。思いつく限りのことはなんでもやる、ご自身が前例をつくることで、臨床検査技師の価値を証明する、という思いで免疫染色を徹底的に研究され、「サクラ病理技術賞」の当時最年少かつ初の女性受賞者となりました。その活動から広げて、ご自身でテキストを作成してセミナーを開催されたり、海外で技術指導に勤められました。しかし、ご親友の逝去を機に、検査技師の無力さを経験され、がんゲノム医療、形態学から目に見えない世界へ、挑戦することを決意されました。

 そのゼロからの挑戦の中で、新しい出会いと助けられていることへの感謝、誰かの役に立ちたいという思いから、セミナーや学生に向けた国試対策の勉強会を開催されています。原点は、臨床検査技師が天職であり、臨床検査技師になれたことが自分にとって最高の幸せであったと、強く思い続けること。沢山の方々に支えられていることに感謝すること。これらを大事にされています。ここでご紹介させていただくことが、恐れ多いのですが、取り上げさせていただきました。技師の旗印として、ご活躍されている方だと強く尊敬の念をいただきました。

中堅技師②:プライベートが充実してこそ、良い仕事ができる

 医療法人翠清会 翠清会梶川病院の西野真佐美さんは、沖縄でSUPというマリンスポーツを楽しまれています。何事にも全力がモットーの明るい方で、レースで入賞することを目標に、登壇の日の朝も練習されていたみたいです(笑)大学を卒業して検診業界で務められた後、脳神経専門病院に転職されました。知識が偏ってしまうことが不安で、自分に何ができるのか、悩む毎日を送られていました。そんな中、転機が訪れます。技師が担当することは珍しい、認知症患者さんへの神経心理学的検査に従事されていた時のことです。その検査は、患者さんとの会話の中で質問を行って、認知機能を評価していく検査になります。その中で、「あなたの笑顔で気持ちが楽になったわ。とても楽しかった。ありがとう。」と感謝された際に、認知症や検査をきちんと理解していないまま、仕事をしていたことに気づかれたのでした。

脳卒中や認知症患者と接する経験、神経心理検査、画像を見る力を培われてきたことから、それを生かして資格を取得していこうと考えられました。神経心理検査では、検査者の認知バイアスが入ってしまうため、どうすれば良いのか考えられ、心理学を学ぶことを決意されました。また、先輩方との出会いから、積極的に学会発表や勉強会に参加されています。今までを振り返り、プライベートが充実してこそ、良い仕事ができる良い仕事をするには、良いチームが必要良いチームを作るには、外からの刺激が必要をモットーに活動されています。それが、良い循環となるのだそうです。プライベートと仕事はこうして影響し合って、良いサイクルにつながっているのですね。

中堅技師③:やらなかった後悔だけはしたくない

関東甲信越ブロック血液センターの久米田 麻衣さんは、笑顔がとても素敵な方でした。元々「海外大好き人間」で、高校1年生のアメリカ短期留学の際に医療職にひかれ、当時英語科であったのですが、独学で化学や生物を猛勉強し、弘前大学に合格されました。卒後、同大学病院の輸血部勤務の際に、世界で7例目の小児の不規則抗体産生症例の英語論文掲載や学会発表などをご経験。その輸血どっぷり生活もあり、「輸血医療がライフワーク」となったみたいです。青年海外協力隊経験者のお話から、大好きな「海外」と「輸血」が結びつき、ガボン国立医療センターの募集を発見。大好きな輸血部を辞めること、アフリカで働いていけるのかの不安等で悩まれたのですが、「やらなかった後悔だけはしたくない」とお考えになり、挑戦を決意されました。


 皆さんは、ガボン共和国をご存じですか?アフリカの赤道直下でフランス語を公用語とする国です。赴任した輸血センターでは、献血事業と輸血部が合体したような業務を行われていたようです。そこでは、成分輸血製剤がなく自身で血小板輸血製剤を作製しなくてならなかったんです。その作製法は、容易にたどり着けるものではありませんでした。赤十字社の方に相談され、古いマニュアルからアドバイスを頂いて、試行錯誤の末、作製に成功されたのでした。技師なら知る人ぞ知る、スワ―リングを仲間と共有した時の喜びは一塩ではありませんでした。そこでの一番の変化は、皆がガボンでも医療を変えられると実感できたことで、センターの使命感が増したことだそうです。ガボン人が自身の力で医療を継続できる形を、技術的にも精神的にも残すことができた、凄いことだと思いました。

中堅技師④:人生の半分はポドサイト

 筑波大学付属病院の横山千恵さんは、人生の半分はポドサイトではないかというほどの、ポドサイト好きの方でした。皆さんはポドサイトをご存じですか?体の中で再生できない細胞が2つあるのですが、そのうちの1つがポドサイトなんだそうです。糸球体に位置している細胞で、腎機能のバイオマーカーとして期待されており、今は研究室レベルですが、免疫蛍光染色による取り組みが進んでいるとのことでした。好きすぎて、ご自身のinstagram でポドサイトの画像を、1000日以上毎日投稿し続けているのでした(笑)

 そんなポドサイトを通じて、沢山の出会いがありました。実は、2007年に何にもなりたくなかった時期があったそうです。その時期に、深夜に部屋に入ってきた先生がいて、「夜遅いのに頑張ってるね!」とテレビを見ていたことを勘違いされたそうです(笑)その先生が、研究室のOBの方で、筑波大学附属病院で腎臓内科医をされている研究熱心な方でした。その先生との出会いを機に様々な方とつながり、楽しい活動サイクルを送られているとのことでした。課題は与えられるものではなく、自分で見つけるもの自分の手を汚して、毎日積み重ねることを大切にされています。深夜に誰かが部屋に入って来て勘違いされる、面白い巡りあわせがあるんだな、と感じました。ポドサイト好きがこれでもか、と伝わってくる方でした。

中堅技師⑤:臨床検査技師として災害医療で「ロジ」を極める

亀田総合病院の太田麻衣子さんは、DMATに所属し災害医療に従事され、「ロジスティシャン」を目指されています。飼い猫にも「ロジ」と名前を付けられるほどの熱中ぶりでした(笑)そんな太田さんですが、初めから災害医療に従事されたわけではありません。卒後、病院で細胞検査士として従事され、30歳のある時“畳職人になりたい”と退職されました。そんなある時、某テレビ番組で取り上げられた病院にご興味を持ち、募集時期は過ぎていたのですが、それでも電話で「貴院で働きたいんです!」とお話されたそうです。「見学においで!」と言われ、それを契機に亀田総合病院に就職されました。

 病理の次は、救命救急センターの一員として診療支援チ―ムで働く毎日でした。その中で、学会発表や勉強会での出会いを通じて様々なことへ関心が広がり、災害医療に興味を持たれたのでした。2013年にDMATに登録され、当時は災害医療に従事する検査技師は希少であり、実際に勤められている先輩との出会いから、検査技師として災害医療を極めることを決意されました。一度は検査技師を辞め、災害医療に専念したいという気持ちもあったのですが、長年お世話になっている先生のアドバイスもあり、災害医療をやっている臨床検査技師として、臨床で働きながらも週に1.2回災害医療対策室で務められています。このようなロールモデルがあることに驚かされました。

中堅技師⑥:リサーチマインドと熱意を持って

 奈良県総合医療センターの北川大輔さんは、学術活動の活発な方として印象的でした。そんな北川さんの技師をめざされたきっかけは、親戚にエコー技師が多く、座ってできる仕事のイメージが強かったからだそうです。そんな中、人生を変えた出会いが3度ありました。一つが、専門学校の臨地実習先の中山章文先生との出会いでした。研究し論文を投稿することの重要性を教わったそうです。就職後、当時の天理よろづ相談所病院の中村彰宏先生に、リサーチマインド=探求心の重要性を教わり、ただ検査するのではなく、「もっと、患者さんのためにこうできないか」追求することが、重要であると学ばれたそうです。

 そして、矢野寿一先生との出会いを通して、多職種の方と多方面の研究をして、臨床に還元する重要性を実感されました。私の心に残っている言葉は、出会いを財産に変えるのは熱意であり、自身の付加価値を高めることが大切であるということでした。せっかく素敵な出会いがあっても、それを財産にできるかは、その人の情熱次第ということです。何事も真剣に取り組むことが大切な理由は、こういうことではないか?、と学ばせていただいたスピーチでした。

 

終わりに ~100人カイギに参加することで~

明るいニュースをお届けできたでしょうか?
皆さん臨床検査技師としてご活躍され、とても勇気づけられる方ばかりでした。

振り返ってみると、皆さん何かをきっかけに強い思いと熱意を持って取り組まれていました。
日常の生活から医療活動まで、公私にわたり広がっていました。

そして、その取り組みは出会いを財産として生かせるか、につながっているのだと感じます。

時には、思い通りにいかず悩む時期もあるかと思いますが、日々探求心を忘れず色々なことに挑戦していくことが、必要であると再確認できたのではないでしょうか。

臨床検査技師100人カイギは、技師の新たなロールモデルの発見や出会いの場学生に夢を与える場になっていると感じています。もし、100人カイギ運営にご興味がある方は以下よりご確認ください。

 (運営メンバーにご興味のある方はこちら:https://kensa.wiki/index.php/2021/11/03/246/ )


今回ご紹介した方々のスピーカー映像、気になった方は下記もチェックください。

また、次回の100人カイギでも魅力的な方にご登壇いただきます。

こちらもご参考ください。後日、見逃し動画も配信しております。

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この記事を書いた人

KENSA.wikiのお手伝い 兼 第1回臨床検査技師100人カイギを契機に発足した、臨床検査技師学生団体SOLS立ち上げメンバー。

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